お金と経済|早くも着地点を語れる気がする

個人的なことですが「早くも着地点を語れる気がする」と思ったので、忘れないうちに今の気づきをまとめておこうと思います。

 

道具としてのお金、誰が持っていてもいいし、だれが払ってくれてもいい。
私たちがこれから目指すのは、自然の循環に沿って生き直す暮らし。
自然の力を借りて1から10を生み出し、生み出した豊かさを分け合って、貯めこんだり奪い合ったりしなくてもいい世界をつくる。
そのような世界では、自分が所属するコミュニティ以外との交流にお金が使われるようになる。
自分たちで作った世界の中ではお金のやり取りが必要なくなり、食べ物をつくることや産業を成り立たせることが日常的な営みになる。

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コロナが始まったころ、妄想した世界もこんな感じだったのですが、急に確信ともいえるような、妄想ではなくすでにその方向に向かっているという思いが込み上げました。

 

きっかけのひとつは、取材した税理士さんの言葉。
「持ち主が移動するだけで徴収される相続税。そんなものがない世の中にしたい」
「制度を正しく理解すれば、自分で考え、自分で判断し、それぞれに最善の方法を検討できる

きっかけのふたつめは、現在フリーターの旦那さんと私のやり取り。
「雇われ仕事は懲り懲り」→「どんな方法でもいいから、だれも傷つけずその時必要な分だけ調達できるようになってくれればそれでいい」
「借金や支援金に頼らないようになりたい」→「今さらそんなプライドは無用。費用は誰が払ってくれてもいい

税理士さんが目指す未来と、自分が発した答えは共通する世界観がありました。
「ルールに従うよりも適切な循環を目指す」
「創意工夫で搾取を逃れる生き方が可能になる」
損得で測らない新しい循環社会を目指す考え方は、確実に広がっていると感じます。

そういう社会は、実際につくれるのだと思います。
誰と、どの範囲で、どんなふうに実現するのかを考える。
そこにはお金に縛られる現実はなく、私たち本来の自由な姿があるはずです。

 

ここ数年、コロナ禍で支援金を頂いたり、子どもたちの就学費用に補助があったり、ご近所さんとおかずの交換をしたりする中で、だんだんと「循環社会」がイメージできるようになってきた。
今は「大きなお金を手にしたら、もう自分や家族のためだけに使うことはない。地域社会の循環のために使う」と断言できます。
すでに循環社会を作ろうとしている人たちは世界中にたくさんいて、その社会実験の情報も興味深く受け取っています。

着地点は「自然の力を借りて1から10を生み出し、分け合う社会。お金を道具として活用し、コミュニティ同士が豊かさを共有する経済
トト.ライティングが目指す【お金と経済】はそこを目指していきそうな感じがします(*^^)v

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