「矯正をやめる」ほうが努力が報われることがある

「欠点を探し矯正することで、どんな人も人生が良くなる」という神話がずっと信じられてきたように思います。

 

ひとつ矯正されると次の欠点を探す。
その欠点を矯正するために頑張る。
その欠点が強制されたら次の欠点を探す。
またそれも矯正する…

欠点の矯正は努力が必要です。
想像も及ばない努力しながら、数々の欠点を克服していく。

延々と続くループ。
そこに温かさがあったり、分かち合う仲間がいたりすると、上手くいくこともあると思う。
でも実際は「復讐心」に変わることが多いのだとも思うのです。

「自分は必死で頑張った。だからお前も頑張れ」

甘さが許されない、とことん上を目指す競争の世界。
気力、体力、精神力があって突き抜けられたら勝利者。
このプロセスで「復讐心」が報酬をもたらして、形になる人たちもそれなりにいる。

 

私を含めた突き抜けられない人たちはどう生きていくのか(^^;
「矯正をやめて、努力してきたけど突き抜けられなかった自分を一旦受け入れる」のが良いのだと思ってきました。

やってきた努力は報われていい。
「復讐心」というパワーの源が得られない場合において、違う道を模索する時に「これまで自分がしてきた努力」に目を向けると、意外な抜け道が見えることがあるのだと思うのです。

“洗脳”があるので、なかなかそちらに向かうことは難しいですが、確実にそちらの道はあるのだと思う。
小さな光に向かって「矯正が不要」な新しい道を見つけていけていきたいと感じています。

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