コミュニティ・スクールを知ってうれしくなった

社会人1年目、私は宮城県石巻地区の大川中学校で、美術の常勤講師として働きました。
ゆったりと流れる北上川沿いで、純真な子どもたちと過ごした一年。PTA総会で質問しようと挙手をしたり、職員会議で率先して意見をしたり、1年目にしてハチャメチャをやった私を先輩も地域の人も可愛がってくれました。

人生の恩師と言える人にも出会いました。2学年主任で直属の上司、私が副顧問を務めたソフトボール部の顧問だった今泉先生。超反抗的な弱小ソフト部を熱血指導で地区ベスト8まで引き上げた時は、先生の子どもたちへの深い愛を感じさせてもらいました。

その後も学校を変わりながらトータルで2年半、5つの学校で教員生活を過ごしました。
当時も教職は大変な仕事でしたが、夜遅くまで働いた後、先生仲間と夕食を食べたり、時には朝まで飲んだりしながら、子どもや学校の話を熱く語り合いました。みんな子どもが大好きで、教員という仕事に誇りを持っていました。
日々感じる疑問に答えてくれない教育界の閉塞感や不自由さに耐えられず転職をしましたが、先生仲間と過ごした時間は今も忘れられません。

我が子が小学校に入学し、2年目からはまさかのPTA本部役員に。PTA総会の時、社会人1年目の自分を思い出し、心がムズムズ。そして、その年度終わりは東日本大震災。役員をしながら、思い出深い大川の悲しいニュースを聞きくことになりました。

そこから約10年、PTAや子ども会の役員を途切れることなく続けました。
何年も前に逃げたはずの教育界に、今度は親として向き合うことになったのです。

 

中学校PTA会長2年目を務めていた2018年。
仙台市は3年連続の中学生自死事案で日本中に注目されている最中。社会人1年目から感じてきた疑問はついに「地域と学校」にたどり着きます。
「地域が子育て家庭を支える以外に、子どもや学校を救う道はない」そう確信したのです。

私は地域が子育て家庭を支えられる方法を探し求めました。
地域では町内会と子ども会の分断も深刻な中、中学生の自死が繰り返され、教育委員会や学校への不信感が募る一方。子どもや学校を救う方法論は皆無に思われました。
それでも「地域」「子育て」「学校」などというキーワードであきらめず探し続けると、ある日「コミュニティ・スクール」という言葉に引っかかりました。しかもそこにはなんと恩師の今泉先生の名前と写真!
今泉先生は東北でただ一人、文科省の「コミュニティ・スクールマイスター」として活動していたのです。

 

早速今泉先生に連絡を取り、ご自宅に押し掛けました。
25年ぶりに再会した教え子のような私を先生は大歓迎してくれて、コミュニティ・スクールの魅力を純粋な気持ちでたっぷり話してくれました。
校長時代、不登校の子どもたちの家に俺が家庭訪問していたよ、というので、我が家の不登校息子の話をすると「なんとかしてくれたらいいのになぁ」とつぶやきます。25年前の今泉先生と何も変わらない。やっと希望を頂き、奥様の美味しい夕飯もご馳走になり、胸いっぱいで仙台に帰りました。

それ以来、私は「コミュニティ・スクール」が頭から離れません。
コミュニティ・スクールは2020年全国一斉実施が2016年から決まっていましたが、そのことを知る人は地域にはほとんどいません。先生方に話しても話がかみ合わないくらい浸透していません。「無理だ」と語る人の方が多いくらい、かなり警戒されている制度でもあります。
でも私はあきらめたくない。なんとしても、何年かかっても、「コミュニティ・スクール」がやれる地域にしたい。

そんな思いで、このカテゴリーでは「コミュニティ・スクール」について、私の学びを深めていきたいと思っています。制度の中身、魅力、描ける未来について、書いていきたいと思います。

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