不安定なまま「安定」を定義しなおす

新型コロナの問題は少しずつ静かになってきているように感じます。
冬に再び流行することも考えられ、油断は禁物ですが、徐々に「コロナ後」を考える空気が広がっている。人々は様子見つつも動き出しているし、止まっていることが難しい企業活動も活発になっていくのだと思います。

 

「そしてそのうちコロナ前の日常は戻る」のだろうか。

これには、賛否があるかもしれない。
人によって違いがあるかもしれない。

しかし「世界」を俯瞰して見ると、どうやらもう戻るのは難しそうだ、という状況。
やはり、コロナ前の日常は戻ることなく、このまま新しい日常が定着していくのだ、と感じます。

 

「コロナ後の新しい日常」は、何といっても【不安定】なことが特徴だと思うのです。
先が見えない、分からない、誰も正解を出せないこれからの未来は、不安定確定!なのです。

 

今までは、お金や車、土地建物を「所有」することだったり、企業や団体、学校に「所属」したり、保険や共済、資格を持って「保障」されることだったりで【安定】が得られると考えられてきました。
このような「所有」「所属」「保障」などの概念はコロナ禍で大きく揺らいでしまい、この世は今まさに【不安定】。
大きな企業もつぶれるかもしれないし、自分が所属する場所や、今までの保証されてきたことも続くか分からない。

…これってそもそも【安定】だったのだろうか?という疑問が頭に浮かびます。
もしかして概念が間違ってた? もともと【不安定だった】ってことなんじゃないだろうか??

 

実は私たちに必要なのは、
 △生活の安定
 〇心の安定
…ってことだったんじゃないだろうか。

自然と調和して生きる中での生活の安定は可能なのかもしれないけれど、自然を壊しながらの生活の安定ってきっと難しい。
けど、この不安定な世の中でも心の安定を実現することは可能だと思う。

「不安定なままで【心の安定】を取り戻す」

物質的な安定を求めるのではなく、いかにして生きるか、いかにして楽しむか、創意工夫で取り組んで心の安定を作っていく。
ひとりやひと家族じゃきっと難しいですけどね…(^^;
助け合ったり、共有したりしながら【新しい安定】を作っていけたら良いよね、と思っています。

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