マインド整っているのに反応がねじれてしまう

旦那さんの苦しさについて、当人と具体的に話し合えるようになってきて分かった大きな気づきがあります。
「マインドは整っていた。反応がおかしかっただけだった」ということです。

間違った考えを持っているとばかり思っていたので、彼を否定してきた時間はかなり長いです。
自分の反応にも思い当たる部分があり、「マインドと反応のねじれ」は多くの人に見られそうです。

 

押さえつけられる環境で育った人、我慢強い人などが、心を閉じ込めて生きることはよくあることです。
「刺激に対してどう反応したいか」を選ぶことから、私たちの主体性の発揮が始まりますが、心を閉じ込めていた時間が長いほど、「どう反応したいかが分からなくなる」。
主体的な反応ではなく、反射的反応しか経験していないので、「反応を選ぶ」ということが分からない、という感じなのだと思います。

環境から解放され、心を閉じ込める必要が無くなると、その人のマインドが見えてきます。
ゆっくりじっくり話すと、その人が本来持っていた温かさや明るさが分かり、「マインドはちゃんと残っていたね」と共感できます。
ところが、ある一定の刺激に出会うと、体・脳が今まで通りに反応してしまい、「ねじれ」が起こる。かかわる人も「良くなってきていたと思うのに、なぜ?」と混乱します。ここで誤解が起こったり、こちらも反射的反応をすれば、その人は苦しさから解放されることが遠のく。このループはなかなか苦しいものです。

「反応の修正」は大変長い道のりが必要です。
でも、本人が自覚し、自分で修正していくしか道がない。
「マインドは整っているよ。反応がねじれているだけだよ」と伝えながら、「本当はどう反応したいのか」と根気よく、問いかけていきたいと思います。

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