看取りと葬儀と日常と

GWいかがお過ごしでしょうか。久しぶりの投稿です。

療養生活を送っていた母が、4月22日に安らかに永眠しました。

11年半前、脳腫瘍をきっかけに、会話、歩行、利き腕を使うことが出来なくなった母は、長い年月をかけて筋力が衰え、4年前から食べられなくなり胃ろうの生活でした。
昨年末に入院し、今回は昏睡状態が長く続きました。胃ろう続けるか?(=死を受け入れるか?)という問題に直面し、家族、お医者様、それぞれの思いが交錯しました。

その間、私はずっと“セルフコーチング”の日々でした。
生死をさまよう母、20代から介護してくれた妹、子ども達を信じて任せてくれた父、お医者様の思い、看取りや通夜葬儀での私の役割… 何か答えを出さなければならない度に、セルフコーチングで「私はどうしたい?」を立ち止まりながら考えました。

仕事もしつつ、ユタの不登校の問題もあり、母の看取りや葬儀はPTA総会に重なりそうだったしで、セルフコーチングフル回転。
さすがに寝込むほどの疲れでしたが、セルフコーチングのおかげで壊れずに乗り越えられました。自分軸で考えることは、自分を助けるって、心底感じました。
セルフコーチングはスゴイです。

 

母の生死をどうするのか、に直面した時、最後私達は胃ろうの中止を決意し母の死を受け入れることにしましたが、たぶんみんな「私たちは母の死を受け入れられる」ということが分かっていました。
振返れば本当にいろいろな出来事や葛藤があった11年半でしたが、全ての家族が懸命に母に起こった事実に向き合いながら、懸命に自分の人生を生きました。
介護だけ、自分の人生だけ、どちらかひとつだけを頑張ってもたどり着くことはなかったかもしれない達成感。やり切った、任せきった、それぞれの役割を果たした実感がありました。

看取ってから葬儀が終わるまでの数日間は、なんとも濃い時間ですね。。。短い期間にまたセルフコーチングで、自分の役割について何度も何度も立ち止まって考えました。
通夜葬儀で300名もの参列があり、一人一人に感謝を伝えることができなかったことが残念。終わった後は、皆クタクタになりました。

GW終盤になり、日常が少しづつ戻ってきました。今日は父が見つけてきた墓地を皆で見に行き、夜は打ち上げ?のカラオケパーティ。お墓が決まれば納骨。徐々に本当の日常が戻ってくる。母がいなくなった家族の形が変わる未来のために、私はまた“セルフコーチング”をしていきます。
家族みんなが新しい人生を送るために必要な大きな区切りを、母が皆にプレゼントしてくれたな、と感じています。

最後に…
葬儀でチイが話してくれたあいさつより…

12年間おばあちゃんは家族を見守る担当で、
いるだけで空気を穏やかに変える存在でした。
一人一人が濃い一家の中におばあちゃんがいたおかげで、
|家族として皆が繋がっていたのだと思います。
|皆で討論なんてしょっちゅうですが、
|個性バラバラでも重要な事には前向きでお互いを否定しません。
|だから意見が割れても、それぞれに理解して尊重出来ました。
おばあちゃんがいて、だからこそ家族が前に進めたのだと思います。
|元気だった頃の記憶は少ないですが、
|全てまとめて、おばあちゃんが私の祖母で、家族の一員で良かったです。
おばあちゃん、ありがとう。

 

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