「三つ子の魂」と「身の丈」

| 「身の丈」のまんまでいられて、
| 他の人にもその寸法のままに見てもらえていたら、
| それがいちばんいいんだろうね。
| 赤ん坊とか、犬や猫とかってそうだものね。
| なんというか、現物以上に見てほしいって気持ちは、
| 相手がまちがってくれるのを期待しているわけだから、
| 立場としては、とても弱いっていうことになるね。

昨日の糸井さんのコラムから、誠に耳の痛い一節(^-^;)
誰かと接している時に、なんだかムズムズしちゃうとき、
まさに「相手の間違いを期待している」かも…
悟られないようにブルブルしちゃうよね。

これを子どもに当てはめたら、違う視点が見えてきた。
子どもが弱いと感じるのは「身の丈」が実際に伸びている最中だからなんではないか。
大人には弱いことはお見通しなので、そのまま弱いと感じる。
大人になろうとしている子どもは弱いことを悟られないように、ブルブルしながら必死で自分を大きくみせようとする。これが“思春期”や“反抗期”なのかも。

しかし確かに「身の丈のまま」でいる赤ん坊は強い。
小さくて弱いのに強い。守ってもらえるし、でも強いし、ある意味最強。

子どもが本当に弱かった時も、子どもがだんだんと弱くなくなっていく時も、親は「子どもの間違いを期待している」のでは… 私たちは、強い親、強い大人に見えるように、必死で頑張っている。
子どもも親も、互いに身の丈以上に見せようとしあうから、ムズムズした関係が続いてしまうのかもしれない。

| だんだんと身の丈に「自信」がついてきたら、
| まちがって大きく見てくれなくてもいいと思えるんだね。
| いや、身の丈に「自信」じゃなくて、
| 「あきらめ」がついてきたら、なのかもしれないな。
| かっこよく言えば「足るを知る」ってことなのかな。

近頃、ちょうど、私たち家族が、子ども達だけでなく、もしかすると自分や旦那さんも「三つ子の魂」を取り戻しつつあるのではないかと感じていました。
「あきらめ」を上手く受け入れる、という感じでいるうちに、いつの間にかそうなってきた。
本来の自分に戻ることは、“ラク”だし、意外と“気持ちいい”。もしこれが「身の丈」に近づいているのだとしたら、同時に強くなれるのかもしれないと思い、少しうれしくなりました(^-^)

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