いのちとの向き合い

私たち家族は母の生死と向き合う機会を何度か頂いています。
今回は3度目。
「1度目、2度目と大きく異なるのは、介護をする妹の心をお医者様がよく理解して下さっている」
と、前回書きました。

1度目は12年前、57歳の若さで倒れたときでした。
母の腫瘍は“膠芽腫(こうがしゅ)”のステージ4。2年以内に90%、5年以内に100%の患者さんが亡くなっているという、難しいガンでした。
当時私は32歳。チイは3歳、ユタは1歳。介護している妹とサポートしてくれたお嫁さんは20代でした。
この1度目のいのちとの向き合いは、病との葛藤でした。主治医の先生も病についての治療やディスカッションが中心で、自宅での闘病生活は主に家族任せでした。介護保険も始まって間もなくでしたので訪問看護体制も不確定。私達もいのちと向き合うには若過ぎる年齢でした。
今思えば関わる全ての人が『いのち=病の克服』と感じていたのではないかと思います。

2度目は4年前、小さな風邪をきっかけにけいれんを起こすようになって、口から食べることができなくなった時です。
膠芽腫のステージ4を穏やかに乗り越え、奇跡の人となった母でしたが、人間の身体の衰えというものをリアルに感じた初めての出来事でした。
「胃ろうをするか、しないか」
もちろん、しないという決断は、死にゆく母を見届ける覚悟が必要でした。
倒れた時から言語障害があったためしっかりとした意思は聴くことはできていませんでしたし、この時はさらに昏睡状態。しかし母はまだ65歳でした。
病院は当然のように胃ろうをすすめましたが、私達はたくさん葛藤しました。
最終的に家族で母が生きることを受け入れ、胃ろうの生活が始まりました。

3度目の今回は、2度目と同じけいれんと昏睡状態。胃ろうも入れられない状況が続きました。
今回、私達は母の死を受け入れる心の準備が始まっていました。
対して、妹の介護の様子や、家族の状況を良く分かっている主治医の先生は、一貫していのちを繋ぐことをあきらめませんでした。「まだ生きる力があり、家族もそれを支えられる」そう判断してくれていたようです。
結果的に母はゆっくり回復してきており、母の穏やかな顔、妹や父の笑顔を見ると『いのちと寄り添うこと』を教わっている、と感じます。

12年かけてゆっくりと学んでいる「いのちの在り方」。
母も私達も生かされていることに変わりはなく、形は違ってもそれぞれに誠実に生きること。
病でも健常でも、同じように自分のいのちと向き合うことが幸せに繋がるのではないかということを感じています。

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