コミュニティ・スクールを経験していないわたしが魅力を語りたい理由

前回の投稿で「コミュニティ・スクールを知ってうれしかった」という気持ちを書きました。

学校の閉塞感、家族どうしのコミュニケーションの減少、地域と若い世代の分断… 大人の問題で、最も優しく弱い立場の子どもたちが犠牲になるのを止めることができない苦しさ。
なにも分かっていないと思われている彼らが、実は大人の心を肌で感じ、笑顔で頑張ることで大人を癒し続けている。
彼らの頑張りが究極に達した時、小さな心や体はその頑張りにストップをかける。自分が壊れないように、自分より弱いものを探そうとしたり、一時的に忘れさせてくれるものに依存したり、今の活動から遠ざかったり。そうやって自分を守る。

宮城県は不登校ワースト1。特に仙台市は子どもの自死で全国的に有名になってしまった時期をまだまだ引きずっています。
大人も、子どもも、頑張り屋が多い宮城・仙台。
さまざまな不幸と言える結果をもたらしてしまうことは、子どもたちが頑張りぬいた末に、究極の選択にたどり着いているということだと思うのです。

でもそれをどんなに説明しても、社会に染みついた固定的な価値観や無意識の偏見が、そこに関わった人たちをジャッジします。「怠けている」「責任感がない」「社会性が足りない」「対応が悪い」… 当事者の声がどんどん遠ざかり、事実が見えなくなる。
「誰も悪くない。どんな子を育てたい? どんな地域に暮らしたい? みんなで考えよう」ができる環境が必要なのです。

 

社会の価値に照らすのではなく、「地域の宝はこんなふう育ってほしい!」をみんなで考える。

勉強ができなくても元気なら良い。
スポーツができても、少々やんちゃでもいい。
ケンカしても仲直りできればいい。
挨拶はしなくても、優しければいい。
もっとのびのびと遊べるようにしてあげたい。。。
きっとそんな優しさがまちには隠れているはずです。

コミュニティ・スクール」には、それを引き出せる可能性がある。
今泉先生のお話からは、その希望が溢れていたのです。

それぞれの地域で自分たちの理想の宝を育てる。
もしこれが実現できるなら、絶対やった方が良い、そう思いました。

詳しいシステムや理屈は完璧には分かりませんが、「子どもへの愛が溢れる地域をつくるためのコミュニティ・スクール」であることは分かります。
ちゃんと勉強してみんなで語り合えるようになりたいです。

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